再現年度・1999年
1999年成績
53試合 5勝2敗2S 59.2回 31奪三振 被安打56 防御率3.77 WHIP1.26
青学大→巨人(1992年D4位)
再現年度・1997年
1997年成績
34試合 10勝12敗0S 160回 143奪三振(奪三振率8.44) 被安打173(被打率.281) 防御率4.73 WHIP1.68
東北福祉大→中日(1995年D2位)→大阪近鉄→横浜→巨人→SKワイバーンズ→サムスン・ライオンズ→伊達聖ヶ丘病院
1998年は先発ローテーションに定着して初の10勝。
鋭い落差のあるフォークで、三振を奪っていきこの年は先発投手としては比較的高い奪三振率を記録。
又、得点圏被打率.247とピンチの場面にも強かった
しかし、コントロールが悪く96四球(与四球率5.40)、荒れ球で10死球と共にリーグワースト。
立ち上がりも課題となり、先発26試合で3回までの自責点は48だった。(防御率5.86)
その為、シーズン終盤には中継ぎにも回っている。
翌年は安定した成績を残し、中日で活躍した後は近鉄、横浜などで活躍。
2012年限りで現役を引退。
パワナンバー:11200 51112 64592
再現年度・1998年
1998年成績
36試合 6勝4敗18S 81.1回 77奪三振 被安打67(被打率.226) 防御率3.98 WHIP1.11
大府高→巨人(1981年D1位)
1998年は開幕から先発だったものの、立ち上がり不安定な投球が続き、先発として結果を残す事が出来なかった。(先発9試合で3回までの自責点が17、防御率5.78)
5月21日対阪神戦では被安打1・与四死球0で完封勝利、あわや2度目の完全試合かと思われた投球を披露したが、好不調の波が大きくシーズン途中から抑えに転向。
この年はピンチで打ち込まれたり(得点圏被打率.340)一発を多く打たれたりもしたが(被本塁打率1.328)抑えに転向した後は防御率2.93と安定した成績を挙げた。
(防御率の割にWHIP1.11という成績だった為球持ち◯をつけました。)
引退まで抑えとして活躍、2001年限りで現役引退。
平成最後の完全試合達成者であり、2020年現在でも未だに達成者は出ていない。
再現年度・1997年
1997年成績
57試合 10勝7敗23S(33SP) 97.1回 100奪三振(奪三振率9.246) 被安打90(被打率.247) 防御率3.05 WHIP1.38
静岡高→近鉄(1988年D4位)
近鉄を代表するクローザー。
1997年はキャリアハイとなる57試合に登板。
この年97.1回で44四球を出す(与四球率4.67)ものの、得点圏被打率.208、対左打者被打率.182と抑え込んだ。
また、ストレートとスライダーだけの投球に幅を持たせる為、フォークを習得して投じている。(97年は全球種の約10%弱)
翌年以降からは今までの登板過多のせいか、故障に見舞われるようになり2004年限りで現役引退。
2020年現在は中日の一軍投手コーチを務める。