パワプロ2018
再現年度・2005年 東北福祉大を経てヤクルトに入団。 入団時は古田敦也という絶対的な捕手がいたため、主に控えだった。 しかし、古田の出場機会が減るとスタメンで出場する機会が増え、2005年には自慢のパンチ力で自身最多の7本塁打を記録。 プロ初打席を本…
再現年度・2008年 法政大からドラフト自由獲得枠にて西武に入団。 ルーキーイヤーから四番に座るなど活躍、2003年二桁本塁打を記録。 2008年には主に外野手としての出場が多く、自己最多の12本塁打。 トレードで横浜に移籍すると、不振選手に代わって出場す…
再現年度・1990年 九州産業大からドラフト外でロッテ・オリオンズに入団。 入団から強肩捕手として活躍し、ルーキーイヤーの1989年には盗塁阻止率リーグトップの.407を記録。 打撃に課題を抱え、青柳進や定詰雅彦らと併用される形で試合に出場。 2003年に現…
再現年度・2006年 東海大からドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 入団から3年目の2001年にプロ初安打、初本塁打を記録し、以降もパンチ力を武器に一軍で活躍。 2006年には自己最多の11本塁打をマーク。 守備では、外野手でありながら内野守備…
再現年度・1999年 名門・熊本工業高から入団。 入団からしばらくは活躍の機会はなかったが1999年にレギュラーに定着し、15盗塁(4盗塁死)、22犠打を記録。 2001年以降は、貴重な代走・守備固め要員として活躍。 一軍出場なしに終わった2009年に現役引退、現在…
再現年度・1999年 岩陽高校(現・岩国総合高校)からドラフト3位で入団。 入団からしばらく二軍暮らしが続いたが、1992年に初安打初打点を、1995年には初本塁打を記録。 再現年度のこの年は持ち前のパワーを発揮し、自己最多の7本塁打をマークするも好不調の波…
再現年度・2001年 父はメジャー殿堂入りを果たしているトニー・ペレス。 慢性的な正三塁手不足に悩まされていた阪神へ、打撃を期待されながら入団。 しかし、怪我の影響で調整が出遅れ、シーズン中は不本意な成績に終わりわずか1年で退団。 翌年は古巣セント…
再現年度・2004年 プリンスホテルから逆指名でヤクルトに入団。 入団3年目にゴールデングラブを獲得すると、引退までに10度獲得する。 打撃では右打ち、バントの名手として活躍。 ホームランバッターではないものの再現年度の2004年はわずか90試合の出場なが…
再現年度・2001年 守備力が高く、三振の少ない堅実な打撃が売りとして1999年に広島に入団。 当初はショートを守っていたが、東出輝裕のショートへのコンバートにより、2000年からはセカンドでの出場がメインとなる。 来日3年目の2001年、同郷のアレックス・…
再現年度・2009年 タンパベイ・レイズから入団。 横浜では24本塁打放つなど長打力を武器としたが、打率が低く、好不調の波もあり、わずか一年で退団となった。 古巣・レイズに復帰し、その後は各チームを転々とし三度レイズと契約すると投手に転向、ナックル…
再現年度・1994年 ロサンゼルス・ドジャース傘下からダイエーに入団。 愛嬌ある体型から愛称はコロコロちゃんと呼ばれるようになり、その人気さから博多人形も売り出されるようになる。 年間通して一塁手として出場するも、平凡な成績しかあげられず、翌年の…
再現年度・2002年 モントリオール・エクスポズからオリックスに入団。 来日一年目はわずか89試合で23本塁打とパワーを見せつけるが好不調の波が激しく、二軍降格もたびたび経験するなど不本意な一年となり同年オフに自由契約。 翌々年に来日し、日本ハムに入…
再現年度・1992年 83年のドラフトで6位指名を受け南海に入団。 高卒2年目には規定打席未達ながらも.291をマーク、翌年は落ち込んだ。 しかし、それ以降は打撃で打率3割、二桁本塁打を度々キープしたり、走力では盗塁王を獲得、守備の方はゴールデングラブ賞…
再現年度・1995年 逆指名でダイエーに入団。 プロ1年目から6本塁打と片鱗を見せると、2年目には28本塁打を放ち本塁打王のタイトルと、二塁手としてゴールデングラブ、ベストナインを獲得。 走っても14盗塁(失敗4)、リーグ最多の9三塁打を記録。 以降はリーグ…
再現年度・2001年 立命館大から逆指名でオリックスに入団。 プロ1年目から一軍出場を果たすと初本塁打を記録、2年目には自己最多の14本塁打を放つ。 2003年にも9本塁打を放つ活躍を見せるが、翌年には阪神に移籍。 阪神では一塁手としても活躍し、2011年に現…
再現年度・1997年 拓大紅陵高からロッテに入団。 入団から3年目に一軍初出場初安打をマーク、翌年には76試合で7本塁打を記録。 2004年までロッテに在籍し、途中から阪神に移籍、自由契約になるもCPBLの誠泰コブラズに入団。 2006年に現役引退、その後は格闘…
再現年度・2004年 ドラフト2位で日本ハムに入団。 入団からしばらくは一軍出場は無く、一軍出場後も結果が出なかったものの、2004年には持ち前の打撃が開花、打率.322、8本塁打を記録。 翌年は自己最多となる99試合に出場、その後は怪我に苦しみながらも代打…
再現年度・2004年 ヤマハからオリックス・ブルーウェーブに入団。 一年目から出場機会を得るとプロ初安打を記録。 2年目には、7本塁打とパンチ力も見せ、再現年度の2004年には規定打席未達ながら.325と活躍。 特にチャンスや代打の機会にはめっぽう強かった。…
再現年度・2003年 神戸製鋼からオリックスに入団。 入団してからは中嶋聡、高田誠、日高剛らと併用される形で試合に出場。 燻っていた打撃も、再現年度の2003年には覚醒し、規定打席未達ながらも打率3割、二桁近い本塁打を放ってオールスターにも出場。 2004…
再現年度・2000年 MLB通算2240安打を記録し、前年もトロント・ブルージェイズで142試合に出場の現役メジャーリーガーが西武に入団。 日本でもその打力は変わらず怪我などありながらも、二桁本塁打、打率.327を記録。 しかし、当時38歳という高齢もあり一年で…
再現年度・2007 メジャーで2年連続二桁本塁打という実績を手土産に巨人入団。 左投げ右打ちという珍しい選手。 巨人では勝負強い打撃で勝利に貢献。 この年は124試合に出場、巨人自前助っ人としては1996年のシェーン・マック以来の100試合出場を果たした外国…
再現年度・2008年 三菱自動車岡崎からヤクルトに入団。 入団2年目に初出場初安打を記録、5年目には初本塁打を放つ。 古田敦也が引退した翌年には100試合以上に出場し7本塁打、盗塁阻止率は.400を記録。 しかし、翌年以降は怪我などで満足できる活躍ができな…
再現年度・1991年 関東高(現・聖徳学園高)から捕手として広島に入団。 2年目まで捕手としても出場し、プロ初本塁打を放つ。 3年目からは内野手へと転向し、初の2桁本塁打を記録。(この年から13年連続2桁本塁打) 長年、広島の主砲を務めた。 その後は巨人、西…
再現年度・1999年 1999年に西武に途中入団すると、いきなり12本塁打を放つ活躍。 しかし翌2000年はレジー・ジェファーソンとトニー・フェルナンデスのメジャーリーガーコンビが入団すると、ファーム暮らしを余儀なくされる。 同じく2001年もアレックス・カブ…
再現年度・1994年 中京高からドラフト3位で広島に入団。 入団してからは度々先発を任されながらも主に中継ぎとして活躍、89年には自己最多の61試合に登板。 94年から本格的に先発に転向すると、その年は打線の援護を受け16勝を記録。 それからは3年連続で二…
再現年度・2001年 ドラフト1位で広島に入団。 高卒一年目から一軍デビューし、78試合に出場。 2年目からはショートに転向し3年連続二桁失策、内2年連続で最多失策を記録してしまう。(2000年・25失策 2001年・27失策) 2003年からは元のセカンドのポジションに…
再現年度・2013 ニューヨーク・メッツから広島に入団。 メジャーでは二桁盗塁を2度記録する俊足の持ち主。 NPBでは俊足を生かした走塁や、守備範囲を武器として活躍。 打撃では平凡な成績しか残せず、一軍と二組を行き来することが多かった。 同年オフ、広島…
再現年度・1994年 三菱自動車川崎から中日に入団。 1992年には打撃が向上し、俊足を武器に一軍に定着。 又、外野も守る携わら、二塁や三塁を守るなどユーティリティ性も発揮。 その後はトレードで西武に入団し、代走、守備固めで活躍。 引退後は西武、日本ハ…
再現年度・2005年 亜細亜大学からドラフト5位で中日入団。 1年目から出場機会を増やし(1999年は出場機会なし)入団4年目には初の全試合出場を記録。 宮本慎也、石井琢朗の衰退もあり以降は球界を代表するショートストップになる。 引退後は巨人や侍ジャパンの…
再現年度・2001年 サンディエゴ・パドレスから阪神に入団。 1年目は勝ち星より負けが多く付いたものの、年間通してローテーションを守った事も評価され残留となる。 しかし、翌年は外国人枠や自身の調子の悪さもありオフに退団。 その後はKBOやMLBなどで活躍…