大阪近鉄バファローズ
2004年成績 120試合 打率.309(得点圏.285 対左投手.312) 26本 75打点 7盗塁(成功率.636) 四球62 出塁率.391 併殺打19 三菱重工広島→近鉄→東北楽天 打棒が復活した近鉄最後の選手会長 近鉄最終年は、3年ぶりの3割を記録、26HRはキャリアハイ。 最後の最後まで…
2003年成績 138試合 打率.276(得点圏.269 対左投手.272) 51本 117打点 7盗塁(成功率.875) 四球98 出塁率.391 三振137 ボストン・レッドソックス→近鉄→巨人→オリックス→BCリーグ・富山GRNサンダーバーズ 55本塁打を放ち、シーズン最多本塁打(当時)を記録した…
2002年成績 67試合 打率.217(得点圏.286 対左投手.211) 1本 6打点 0盗塁(成功率.000) 2四球 8犠打 出塁率.234 東洋大→大阪近鉄(1999年D3位)→東北楽天→阪神 パワナンバー:11800 02357 16985
2002年成績 69試合 打率.255(得点圏.234 対左投手.289 初球409. 代打.400) 2本 16打点 3盗塁(成功率.750) 6四球 15犠打 出塁率.280 青学→近鉄(1997年D2位)→東北楽天→BCリーグ・新潟 パワナンバー:11600 42037 95474
2004年成績 73試合 打率.250(得点圏.337 対左投手.253 代打.348 0ストライク打率.366) 2本 24打点 2盗塁(成功率.666) 21四球 1犠打 出塁率.343 たくぎん→ダイエー(19912年D4位)→ヤクルト チームが不利な状況で大活躍 チームビハインド時打率.357 出場数は少…
2000年成績 86試合 打率.296(得点圏.310 対左投手.325 2ストライク打率.281) 6本 31打点 2盗塁(成功率.500) 27四球 0犠打 出塁率.418 三振40(三振率.178) 日産自動車→大阪近鉄(1999年D6位)→東北楽天 リストの強さ活かし広角にヒット量産! 安打方向 左:15 中…
2001年成績 140試合 打率.320(得点圏打率.336 対左投手打率.361 満塁打率.600 初球打率.478) 46本 132打点 3盗塁(成功率.600) 104四球 0犠打 出塁率.434 三振106 併殺26 サヨナラHR2本 渋谷高→近鉄(1991年D4位)→ロサンゼルス・ドジャース→オリックス→中日→東…
2004年成績 20試合 4勝9敗0S 122.2回 70奪三振 被安打142(被打率.297 得点圏被打率.286 対左打者被打率.327) 防御率4.26 WHIP1.39 日産自動車→阪神(1994年D4位)→大阪近鉄→東北楽天 コース高低別投球比率 ・高め 13% ・真ん中 27% ・低め 60% パワナンバー:1…
2000年成績 27試合 6勝9敗0S 138.1回 71奪三振 被安打146(被打率.275 得点圏被打率.323 対左打者被打率.263) 防御率2.01 WHIP1.40 甲府工業高→阪神(1994年D1位)→大阪近鉄→東北楽天 パワナンバー:11400 61316 22679
新年明けましておめでとう御座います。 今年も昨年と同様にパワプロや、趣味の事についてぼちぼち綴って行きたいと思います! 年明けに気づきましたが、今年は丑年らしいですね。 という訳で近鉄バファローズの選手を今日・明日で公開して行きます。 2004年…
2000年成績 46試合 2勝4敗1S 62.1回 74奪三振(奪三振率10.68) 被安打48(被打率.211) 防御率3.61 WHIP1.35 市立銚子高→巨人(1988年D外)→近鉄→阪神→大阪ゴールドビリケーンズ→06BULLS 同年は変化球のキレが復活、高い奪三振率を記録した上、近鉄移籍後の最多登…
2004年成績 50試合 4勝4敗0S 51回 26奪三振 被安打56 防御率2.82 WHIP1.37 龍谷大→大阪近鉄(1999年D9位)→オリックス ドラフト下位指名ながら、2004年は50試合登板、防御率2点台と活躍。 サイドハンドから繰り出される横の変化球で打たせて取るピッチングが持…
再現年度・2002年 2002年成績 56試合 4勝1敗0S 39.1回 34奪三振 被安打36(被打率.250) 防御率2.52 WHIP1.19 慶應大→大阪近鉄(2000年D1位) 再現年度は自己最多の56試合に登板し制球力も安定しており(与四球率2.516)、防御率2点代の好成績を挙げる。 得意球・…
再現年度・2002年 2002年成績 53試合 4勝2敗0S 59.2回 43奪三振 被安打62(被打率.267) 防御率4.22 WHIP1.27 早大→巨人(1996年D3位)→大阪近鉄→巨人→ヤクルト→中日→米独立リーグ '前略、三澤興一です' 2001年途中に近鉄に入団、7勝を挙げてチームの優勝に貢献…
再現年度・2000年 2000年成績 50試合 3勝0敗0S 29.2回 19奪三振 防御率1.82 WHIP1.25 阿部企業から1990年ドラフト4位で入団。 1995年に一軍デビュー、1998年から本格的にワンポイントリリーバーとして活躍し始める。 左のサイドハンドから右打者のみならず、…
再現年度・1999年 55試合 5勝4敗8S(13SP) 99.2回 67奪三振 防御率2.44 佐世保工業高校から巨人に入団、1995年には近鉄に移籍。 近鉄入団当初は先発で起用されていたが、再現年度の1999年は中継ぎで55試合に登板。 得点圏被打率.194とピンチで押さえ込み、防…
再現年度・2002年 関西大学から近鉄に入団、一年目から先発ローテーションに定着し、10勝 防御率2.82の成績を挙げる。(新人王は小坂誠が獲得) その後もしばらく先発として活躍し続けるが、2001年に先発に失敗し、監督の梨田昌孝から中継ぎへ配置転換されると…
再現年度・2000年 帝京高から巨人に入団。 怪我もあり初出場は4年目の1993年、初本塁打は実に6年目の1995年という遅咲きのスラッガー。 しかし、巨人では一軍の厚い選手層に阻まれ、石井浩郎との交換トレードで近鉄に移籍。 1998年に13本塁打と頭角を表し、2…
再現年度・1999年 ボストン・レッドソックスから1997年に近鉄に入団。 来日一年目から全試合出場、打率.332 23本塁打を放つ。 翌年も全試合出場し、最終的に打率.320 31本塁打と本塁打が増えた。一時期はイチローに6厘差まで追いつく活躍を見せた。 1999年は…
再現年度・2001年 愛媛県出身・早大から近鉄に入団。 入団からしばらくは堅実な守備を武器に守備固めとして出場する機会が多かった。 しかし1994年にショートのレギュラーに定着すると、1997年限りで引退した、大石大二郎の代わりにセカンドにコンバートされ…
再現年度・2001年 捕手として近鉄に入団するもなかなか定着できず、チーム方針もあり外野手に転向、1999年から本格的に外野手として出場。 2000年は捕手として出場する機会が多かったが、盗塁阻止率.109というプロ野球記録(当時)を作ってしまう。 近鉄優勝時…