再現年度・1999年
広島を一度退団した後、技術交流のあった台湾・時報イーグルスで1年間プレー。
その後は俊足・強肩を武器に内野手として再入団し、翌1997年はなんと投手に転向。
しかし、1999年には再び内野手に転向するも投手としても17試合に登板の二刀流。
当時外国人枠が最高でも野手、投手の登録が2人までだったのが、野手として登録されていたペルドモが登板した事により外国人選手が3人マウンドに登板したと言う珍事もありました。
しかし打者としても投手としても活躍出来ず1999年オフに退団。