再現年度・1995年
マイナー通算292本塁打を手土産に(?)1995年に途中入団。
すると、その年わずか56試合で21本塁打を放って爆発的な活躍。
翌年は打率こそ、前年より落としたが(三振、併殺打は激増)自ら途中退団を申し出て退団。
1997年にはCPBLの時報イーグルスで、伯納德という登録名でプレーするも、不振によりシーズン途中に解雇。
その後は米独立リーグでプレーして1998年に引退。
※NPBでは全てDHで出場、守備力は未知数としてGとしました。メジャーでは1993年に10試合外野の守備について、捕殺を記録している為、決して肩は弱くはないだろうと判断しました。