再現年度・2000年
ルーキーイヤーは目立つ成績は残せなかったものの、2年目は規定打席未達ながら打率3割を記録。
3年目は本格的に一塁へコンバート、初の二桁本塁打を放つ。
再現年度の2000年には、3割30本を記録、盗塁も24個、ゴールデングラブ獲得と、打って走れて守れる一塁手となった。
その後は2年連続首位打者、2年連続MVPなど数々のタイトルを獲得していく。
2011年の巨人時代には2000本安打を達成。
2015年に引退を決意、現役最後の試合となった対巨人戦では両軍選手から胴上げされ引退となった。
現在は中日二軍監督を務める。