再現年度・1999年
千葉県・横芝敬愛高から阪急に入団。
プロ4年目の1990年にようやく一軍に定着し、42試合登板、プロ初勝利を含む6勝を挙げた。
その後、トレードや戦力外通告で3球団を渡り歩く。
しかし、ロッテに移籍してから晩年あたり頃から一軍に定着するようになり、2007年には43試合に登板し、17年振りの40試合以上、かつ自己最多登板を記録した(翌年も43試合登板)。
晩年には日本ハムの中嶋聡とともに数少ない阪急プレーヤーとなっていた。
2009年に3度目の戦力外通告を受け、プロ23年の現役生活に幕を閉じた。