再現年度・1999年
トロント・ブルージェイズから西武に入団。
来日1年目から2年連続で30本塁打を記録。
しかし、年齢と守備力の不足から西武を退団、その後はメキシカン・リーグのレッドデビルズでプレー。
1999年には巨人へ途中入団し、規定打席不足ながらシーズン30発ペースの16本塁打を放った。
この年放った満塁ホームランでは激しいガッツポーズでヘルメットが脱げ落ちるシーンがあるなど、各所でファンに強いインパクトを植え付けた。
打率も.324と巧打も見せつけた。
問題となっていた守備力は前評判通り低かったが、1999年は外野守備ではわずか44試合出場で5補殺も記録し、併殺も2回成立させており、各球団のランナーは意外な強肩に面食らった形となった。
走力も鈍重で走塁には期待できない中、強肩キャッチャーの谷繁元信から盗塁を決める等、こちらも意外な場面があった。
愛敬のある体型、温厚な性格、豪快なアッパースイングなどでファンを魅了し愛されたマルちゃん。
2001年は清原和博の復活、代打が苦手(代打打率.182)などもあり、この年限りで巨人を退団。
退団後は中日の外国人スカウトとして活躍。