再現年度・2001年
1999年に来日すると来日初年度からいきなり44本塁打を放ち、松井秀喜を差し置いて本塁打王。
巨人に移籍するまでは怪我にも強く、毎年安定した好成績を挙げており、ヤクルトの優勝した2001年にはMVPを獲得。
2001年は得点圏打率.358、127打点で本塁打王に加え、打点王にも輝いた。
初球打ちはめっぽう強く、同年は実に初球打率.470、ノーストライク時の打率は.480と相手投手からすると脅威以上の物となった。
サヨナラの場面にも強く、この2001年は2本のサヨナラ本塁打。(NPB通算6本塁打)
守備も2000年から3年連続ゴールデングラブを獲得、肩も強く巨人に移籍して外野手として出場、6補殺と強肩(狂肩含む)を披露することもあった。
しかし、外野手として出場させたのが仇となり、膝の古傷が開いて故障がちになってしまう。
(外野手としての出場は1999年ヤクルト時代以来)
巨人移籍2年目には再び一塁専門になるも、打撃成績は本塁打、打率で来日ワーストを記録。
高年俸などもあり、2004年オフに巨人を自由契約。