再現年度・2001年
シカゴ・カブス→ミルウォーキー・ブルワーズ→ヒューストン・アストロズ→フィラデルフィア・フィリーズ→モントリオール・エクスポズ→ボルチモア・オリオールズ→メキシカンリーグ→ロッテと渡り歩いてきた苦労人。
来日1年目には31本塁打を放ち、福浦和也、フランク・ボーリックらと打線の主軸として活躍。
この年放った本塁打31本中28本(全体の91%)を右方向へ運ぶ典型的プルヒッター。
守備は上手くなく、2001年は外野手として多い8失策を記録。
来日2年目は、本塁打こそ数字を落としたものの打点、打率は前年とほぼ変わらない活躍を見せた。
2003年は不調が続きオフに解雇、その後マイナーやMLBのコーチなどを務める。