再現年度・1996年
名古屋商科大から中日球団職員を経てドラフト2位で中日に入団。
元々は外野手だったが、1994年に落合博満が巨人へ移籍した事に伴い、一塁専守となる。
独特の一本足打法からラインドライブの効いた強烈な打球で本塁打を量産。
一塁へコンバートした同年は38本塁打、107打点で打撃二冠。
1996年にも38本塁打を放った。
この1996年は初球から積極的に振りに行き、ノーストライク時の打率は.419を記録。
絶好調の時は手をつけられず、スランプに陥るとその期間が長く、同年は18号から19号が出るまでに11試合、33号から34号が出るまで10試合を要した。
1998年には阪神へ移籍し3年間在籍、再び古巣・中日に移籍するも振るわず2003年3月に現役を引退。