再現年度・2000年
1998年にKBOのヘテ・タイガース(現・起亜タイガース)から中日に入団。
バットコントロールの良さや俊足・強肩から「韓国のイチロー」と呼ばれ、同じチーム内にいた韓国人選手(宣銅烈、サムソン・リー)を合わせて「三銃士」とも呼ばれていた。
当初は遊撃手だったが守備で多数の失策を記録(1998年は遊撃手として56試合出場で11失策)し、翌年からは外野手に転向する。
韓国では84盗塁で盗塁王にも輝いた事があっが日本では韓国時代のように盗塁をする事ができなかった。
しかし俊足である事には変わらず、1999年にはNPBでのキャリアでは最多の24盗塁(盗塁死7)、再現年度の2000年には内野安打11本を放っている。
又、韓国時代ではあまり行わなかったバントもこなせるようになり、1999年、2000年は13犠打を記録。
気迫溢れるプレーが持ち味だったが2001年途中に退団、同年から古巣の起亜に復帰している。
2006年のワールド・ベースボール・クラシックでは韓国代表として活躍し、大会のベストナインに選出された。
2012年オフに現役を引退、2020年現在は中日でコーチ研修を受けている。