再現年度・2001年
別府大学付属高校(現・明豊高校)からドラフト1位でダイエーに入団。
強肩キャッチャーとして入団し3年目からは打撃も開眼し、ダイエーの正捕手かつリーグを代表する捕手として活躍し始める。
打率3割も度々記録し、再現年度の2001年にはついに31本塁打を放つ活躍。
典型的なプルヒッターであり、この年放った31本塁打中左方向へは25本を数え、安打でも138安打中89本を左方向へ放っている。
守っては最大の武器である強肩で、2001年から4年連続で盗塁阻止率1位を記録した。
走っても、2001年は9盗塁(4盗塁死)、前年も10盗塁(2盗塁死)など、NPB通算で72盗塁と正に打てる、守れる、走れる理想的な捕手だった。
メジャー復帰後は阪神で活躍、復帰1年目は28本塁打、打率3割をマーク。
復帰2年目は怪我の影響が大きく振るわず、翌年は一塁手としてプレーし、プロ入り以来初めて捕手としての出場がなかった。(本塁打0もルーキーイヤーの1995年以来だった)
2012年オフに現役を引退、2020年現在は福岡ソフトバンクホークス会長付特別アドバイザーとなっている。