再現年度・1999年
入団から一貫して内野手として活躍、1988年から再現年度の1999年まで内野手のレギュラーに定着した。
1999年は坪井智哉に続く2番打者として打率3割を記録する活躍。
こちらも先程紹介した水口栄二のように流し打ちが上手い・粘り強い・バントが上手い・チャンスメイクが上手い選手だった。
同年では、
・右方向へ左方向と同等の安打数(左29本・右25本)
・2ストライク時の打率.269
・11犠打
・ランナー無し時の打率.328
という記録を残している。
走力が衰えて来ているなかでも4盗塁(盗塁死4)、内野安打11本・三塁打3本を放っている。
そこから体力の衰えは著しく、現役最終年はコーチ兼任だった事もあり成績を残すことは出来ず、2001年に引退。
引退後は阪神のコーチ、監督として活躍した。