再現年度・1997年
2年目から外野手のレギュラーに定着し始め1994年には122試合、1997年は初の全試合出場を果たした。
1997年は不調ながらもオールスターに外野手部門2位で出場するなど人気の高さは抜群だった。(オールスターでは応援団による応援ボイコットが発生)
しかし、この年は打率こそ.232と低かったものの、引っ張る打撃(左方向18本)で初の20本塁打を達成。
得点圏打率.272(+.042)、ノーストライク時打率.346と勝負強さや積極なバッティングも健在だった。
走塁では盗塁は8個止まりだったが、内野安打11本、三塁打3本を記録。
又、守備面では6失策しながらもリーグ最多、自己最多タイの13補殺を記録、強肩を見せつけた。
その後2000年に自己最高の成績を残した翌年は、ニューヨーク・メッツに移籍し活躍。
2004年には日本ハムに移籍し、リーグ優勝に大きく貢献した。
ファンサービスやパフォーマンスで人気を博していたが2006年限りで現役を引退、2020年現在はNPB復帰に向けてトレーニングを行なっている。