再現年度・2000年
帝京高から巨人に入団。
怪我もあり初出場は4年目の1993年、初本塁打は実に6年目の1995年という遅咲きのスラッガー。
しかし、巨人では一軍の厚い選手層に阻まれ、石井浩郎との交換トレードで近鉄に移籍。
1998年に13本塁打と頭角を表し、2000年には18本塁打、翌2001年は26本塁打を放ち近鉄優勝の原動力となった。
プルヒッター気味のバッターで、再現年度の2000年は18本塁打中、左方向へ13本塁打(右0本)放っている。
この年左投手にも強く、対左投手打率.337
足でも見せる事が多々あり右打者ながら三塁打を4本、再現年度の前年には12盗塁(盗塁死6)を決めている。
2002年も26本塁打を記録し、2004年は怪我でシーズンを棒に振る。
2004年オフには分配ドラフトで楽天に入団、初期の楽天で主力として活躍。
2008年限りで楽天を退団、2010年オフに現役を引退、。
2020年現在は日本ハムの二軍打撃コーチを務める。