再現年度・2002年
関西大学から近鉄に入団、一年目から先発ローテーションに定着し、10勝 防御率2.82の成績を挙げる。(新人王は小坂誠が獲得)
その後もしばらく先発として活躍し続けるが、2001年に先発に失敗し、監督の梨田昌孝から中継ぎへ配置転換されるとハマり61試合登板 防御率2.73を記録して近鉄優勝に大きく貢献。
再現年度の2002年も60試合以上に登板、防御率1.87、WHIP1.00を記録、更なる飛躍を遂げた。
データからも変化球中心にしている事が分かり、最大の武器・スライダーを対戦した右打者に対し57%投じている。
一方、左打者に対してはスライダーを30%、に加えシュート19%、シンカー18%と外に逃げる変化球を投じている。(右打者に対してはシュート、シンカーそれぞれ1%)
しかし2003年からは勤続疲労から来る故障に苦しみ、2005年限りで引退。