再現年度・1997年
印旛高校(現・印旛明誠高校)からヤクルトに入団。
寡黙さ、見た目からつけられたあだ名は「哲学者」
入団してからすぐには活躍しなかったが、1993年ごろから足と守備を武器に一軍に定着し始める。
1997年には規定打席未達(355打数)ながら打率3割をマーク。
さらにこの年は得点圏打率.340、対左投手打率.358、満塁打率.647
他にも渋い打撃で右安32本(中34 左29)、内野安打12本、犠打18といたるとこで大活躍。
2001年は自己最多の137試合に出場、チームのリーグ優勝に貢献した。
2006年オフに現役引退、ヤクルト一筋20年の選手生活に別れを告げた。