再現年度・1999年
入団から横浜移籍の長い間オリックスの遊撃手として活躍。
成績こそ毎年平凡だったものの、勝負強く意外性のある打撃はオリックス打線に欠かせない存在だった。
勝負強く積極的なバッティングで、1999年は得点圏打率.318、代打打率.316、ノーストライク時打率.386
器用に打ち分けては右方向へ23安打(中30 左25)
走力では元から足の速い選手ではなかったが同年は内野安打10本を記録している。
守備では内野どこでも守れるユーティリティーさもまた武器とした。
晩年は横浜に移籍し主に三塁手として出場、2001年には自己最多の15本塁打を放っている。
2004年オフに現役を引退。