再現年度・2001年
宇和島東高校からヤクルトに入団。
ルーキーイヤーはファームで経験を積み、2年目には一軍でいきなり二桁11本塁打。
2000年、2001年共に18本塁打、代名詞となる初球打ちや広角打法、三振もこの頃から健在で、2001年はノーストライク時打率.374、18本塁打中左方向へ8本(中2 右8)、111三振を記録した。
走塁に関して同年は三塁打4本、内野安打23本、盗塁は自己最多の15(成功率.714)だった。
2004年には44本塁打を放ち名実共に球界を代表する三塁手に成長した。
MLBではタンパベイ・レイズ、ピッツバーグ・パイレーツ、オークランド・アスレチックスに在籍。
NPBに復帰すると楽天、ヤクルトに在籍したが振るわず2014年オフにヤクルトを退団。
2020年現在は福島ホープスの代表兼監督を務める。