2000年成績
69試合 9勝3敗1S 95.2回 72奪三振 被安打85(被打率.244) 防御率3.01 WHIP1.22
北海道拓殖銀行→巨人(1988年D1位)→ダイエー・ソフトバンク→オリックス
巨人在籍時はなかなか成績をあげられずに、トレードでダイエーに移籍。
緩い球(カーブ・パーム)や速いスライダーを武器に才能が開花、移籍後の1997年の49試合登板を皮切りにリリーバーとしての道を歩んでいく。
再現年度の2000年には、自己最多の69試合に登板。
登板数を大きく上回る95.2回を投げ、得点圏ではやや打たれたものの(得点圏被打率.278)、防御率は3.01をマーク。
中継ぎで9勝も自己最多だった。
被本塁打も95.2回で4本と抑えた。(被本塁打率0.376)
2003年まで鉄腕ぶりを発揮、登板過多の影響で故障し、晩年はオリックスに移籍し36試合登板と復活。
2007年オフに戦力外通告を受け現役を引退、その後は茨城ゴールデンゴールズに所属したり、ソフトバンクや楽天のコーチを務めた。
パワナンバー:11200 31215 70400