再現年度・2005年 東北福祉大を経てヤクルトに入団。 入団時は古田敦也という絶対的な捕手がいたため、主に控えだった。 しかし、古田の出場機会が減るとスタメンで出場する機会が増え、2005年には自慢のパンチ力で自身最多の7本塁打を記録。 プロ初打席を本…
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