義烈のNPB選手公開blog

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2018サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。

パワプロ 2018【中日】中村武志

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再現年度・1993年

 

花園高校からドラフト1位で中日に入団、長らく中日の正捕手を務める。

 

強肩で、盗塁阻止率5割を2度記録。

 

1991年には5盗塁、翌1992年には4三塁打を放つなど、意外な走力も発揮。

 

パンチ力もあり、谷繁と入れ替わりで入団した横浜でも二桁本塁打を記録。

 

しかし、移籍先の横浜で相川亮二が台頭すると、出場機会が年々減少。

 

2005年オフ、移籍先の楽天にて引退。

 

現在は中日の一軍バッテリーコーチを務める。

パワプロ 2018【阪神】トニー・タラスコ

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再現年度・2000年

 

こちらもハートキーと同じ年に活躍した助っ人外野手。

 

三拍子揃った外野手として期待されるも、結果的に打率も低く、足でも結果を出せなかった。(盗塁企図数8のうち成功が僅か1)

 

2000年オフに退団。

パワプロ 2018【阪神】ジェイソン・ハートキー

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再現年度・2000年

 

サードの穴を埋めるべく獲得したハワード・バトルが大不振の為、急遽獲得した助っ人。

 

バトル以上の活躍をしたとは言え、極平凡な成績しか挙げられず、2000年オフに退団。

 

結局、三塁を固定するまで片岡篤史(2002年)の入団を待つしかなかった。

パワプロ 2018【オリックス】山口和男

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再現年度・2002年

 

愛知・三菱自動車岡崎から1999年ドラフト1位で入団。

 

2002年には日本最速タイ(当時)となる158km/hを記録。

 

この年は安定した投球を披露、一軍定着かと思われたが、故障で離脱を余儀なくされる。

 

以降もケガや不振で一軍定着はならず、2009年オフに現役引退。

 

パワプロ 2018【西武】星野智樹

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再現年度・2004年


プリンスホテル(現在は廃部)からドラフト3位で西武に入団。


入団後はなかなか結果を出せなかった。


しかしサイドスローに転向し、ボールにキレが増すと中継ぎとして活躍。


特に左打者には強く、この2004年は多くの三振を取った。


現役では50試合以上登板5度の鉄腕振りを発揮、2013年オフに移籍先の楽天で現役引退。

パワプロ 2018【ロッテ】吉田篤史

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再現年度・1997年


ヤマハからドラフト1位でロッテに入団。


即戦力として期待され、1年目は主に先発として活躍し、7勝(9敗)を挙げる。


しかし、2年目以降は故障に悩まされるようになり、一軍定着とはならないものの、中継ぎとして活躍するようになる。


1997年には中継ぎで41試合登板、防御率1.56、WHIP1.09の好成績。


2003年に阪神に移籍してからは、ケガで2年間一軍登板無し。


戦力外となり、2004年オフに現役引退。

パワプロ 2018【横浜】金城龍彦

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再現年度・2000年

 

彗星の如く、突如現れた2年目の若手内野手。(当時)

 


この2000年は主に三塁で出場、外野も守り.346で首位打者を、更に新人王を獲得。

 


内野の守備難もあり、翌年からは俊足強肩を活かし、外野手に転向。

 


以降、横浜を代表するバッターに成長。

 


2014年オフにFAで巨人に移籍。

 


2015年は2年振りのホームランを古巣相手から放つが怪我や不振も重なり、その年のオフに現役引退。

 


現在は巨人の二軍打撃兼外野守備走塁コーチを務める。