再現年度・1999年
ボストン・レッドソックスから1997年に近鉄に入団。
来日一年目から全試合出場、打率.332 23本塁打を放つ。
翌年も全試合出場し、最終的に打率.320 31本塁打と本塁打が増えた。一時期はイチローに6厘差まで追いつく活躍を見せた。
1999年は全試合出場とはいかなかったが、それでも134試合出場し、打率は初めて3割を切ってしまうも長打力は健在で29本塁打を記録。
広角に打てる打撃という評判に反して、この年は29本塁打中、左方向へ22本(右1本)安打も72本が左方向(右17本)と引っ張る打撃が目立った。
また得点圏打率は.289と平凡だったが、満塁打率.556と高かった。
ただ、毎年のように併殺が多く、この年も20併殺と非常に多かった。
3年連続134試合以上出場とケガにも強かったが、2000年には左肩の故障に悩まされるようになり、66試合出場、10本止まりに終わってしまい、シーズンオフに解雇となった。
2020年現在はデトロイト・タイガースのコーチ補佐を務める。