1999年成績
49試合 1勝2敗30S 54.1回 25奪三振 被安打38(被打率.199) 防御率1.82 WHIP0.83
和信ホエールズ→ロッテ→ハンファ・イーグルス→米独立リーグ→興農ブルズ→米独立リーグ
1998年途中にCPBLからロッテに途中入団。
沈み込みの大きいツーシームと抜群の制球力を武器に活躍した。
再現年度の1999年は前年より制球力が更に向上し、(与四球率1.159)被安打も少ない事もあり、WHIPは驚異の0.83
最優秀救援投手に輝いた。
被本塁打も54.1回でわずか1本(被本塁打率0.166)という点も特筆に値する。
しかし、ピンチの場面や対左打者に対しては脆い一面を持っていた。(対左打者被打率.260、得点圏被打率.294)
また激しい気性の持ち主で、雄叫びを上げるのはざらにあり、勝利後ベンチに戻る際、チームメイトとはいつも激しいハイタッチを見せていた。
2000年は一転して不振に陥り、ロッテを退団。