義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ 2018【広島】山崎健

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再現年度・1996年

 


関東一高から1990年にドラフト4位で入団。

 


現役では抜群の制球力を武器に活躍。

 


ブレークした1996年には、リーグ最多の4完封で9勝、133回でわずか与四球19。(与死球4)

 


その後は出場機会を減らし、2000年に27試合に登板するも完全復活とはならず、2001年に広島を自由契約

 


その後ロッテでは中継ぎとして活躍、2007年オフに現役引退。

 

パワプロ 2018【ヤクルト】アダム・リグス

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再現年度・2006年

 

2004年オフにヤクルトに入団。

 

2005年は途中から活躍し始め、3割二桁本塁打を記録。

 

翌年からは開幕から2番打者として活躍し、3割は逃したものの、39本塁打を記録。

 

走っても11盗塁(2盗塁死)を記録。

 

2006年オフに新たに2年契約を結ぶと、以降はケガや不振で全く活躍出来ず、2008年途中に解雇されてしまった。

パワプロ 2018【オリックス】カリーム・ガルシア

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再現年度・2005年

 

クリフ・ブランボーらと共にオリックスに入団。

 

開幕から不振に陥り二軍落ち。

 

しかし、二軍から昇格すると覚醒し、3割、二桁ホームランと活躍。

 

2試合連続1試合3本塁打の世界記録を樹立する。

 

守っても強肩を活かして、わずか83試合で8捕殺を記録。

 

残留した翌年は一年通して不振で、この年オフに退団。

 

その後は、KBOメキシカンリーグでプレー。

 

2019年現在も現役かは不明。

パワプロ 2018【広島】ラモン・ラミーレス

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再現年度・2002年

 

この選手もカープアカデミーからの入団選手。

 

一年目に2試合に中継ぎ登板、イニングと同数の三振を取るなど中継ぎとして期待の片鱗を伺わせるも、この選手も過去に所属したチェコらと同様にメジャー志望。

 

広島を退団し、翌年はヤンキースに入団。

 

トレードでロッキーズに入団した翌年にメジャーデビューを果たすと、いきなり61試合登板。

 

それ以降は、バリバリのメジャーリーガーとして活躍する。

 

現在はメキシカンリーグのラグナ・ユニオン・カウボーイズに所属。

 

 

 

パワプロ 2018【大阪近鉄】フェルナンド・デラクルーズ

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再現年度・1999年

 

1998年に近鉄に入団。

 

150km台のストレートを武器に首脳陣から期待されるもほとんどが二軍暮らし。

 

しかし、二軍では日本最速記録(当時)の159km/hを記録。

 

肝心の一軍では、来日初デビューを初黒星で飾ってしまい、この年は1試合のみの登板で解雇。

 

走力も大村直之、武藤孝司らを凌ぐ50m 5秒64をマークしたみたいです。(森谷昭仁を凌いだかは不明)

 

自分的に、もっと試合に出ていたら(代走も含め?)面白かったかなと思う選手でした。

パワプロ 2018【オリックス】ホセ・オーティズ

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再現年度・2003年

 

2002年オフにルーズベルト・ブラウンと共にオリックスに入団。

 

すると翌2003年に両者揃って活躍。

 

2004年には守備の酷さもあり、一塁にコンバート(守備難は変わらず)してそこそこの成績を挙げるもオリックスを退団。

 

その後はロッテ・ソフトバンク・西武と渡り活躍、息の長い外国人選手となった。

 

2013年オフに現役引退。

パワプロ 2018【横浜】小桧山雅仁

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再現年度・1993年

 


日石(現・JX-ENEOS)からドラ1で横浜に入団。

 


一年目から即戦力として先発、中継ぎ、抑えにフル回転。

 


しかし防御率は2点台ながら、9敗を喫する。

 


翌年は2年目のジンクスに陥り、更には右肘靭帯を断裂してしまい、以降登板数は激減。

 


1999は復活の兆しが見えたものの、再び怪我で満足な活躍が出来ず横浜を退団。

 


2002年は台湾で活躍かと思われたがそこでも怪我、、、

 


同年限りで現役引退。