義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ 2018【阪神】スコット・クールボー

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再現年度・1995年


1995年に阪神に入団する。


開幕は怪我で出遅れながらも、グレン・デービスに次ぐチーム2位の22本塁打を記録。


グレンと共に、この年は阪神の打撃の要として活躍。


翌年は、打撃不振になりシーズン途中に退団。

 

1998年にはKBOで쿨바(クルバ)と言う登録名で1年間プレー。

 

その後は1999年に現役引退、2015年から2018年までオリオールズの打撃コーチを務めた。

パワプロ 2018【阪神】グレン・デービス

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再現年度・1995年


メジャーでは8年連続二桁本塁打(内30本塁打以上が3回)を記録したスラッガー


成績が低迷し、マイナーでプレーした1994年オフに阪神に入団。


全盛期より衰えはあるものの、下位を走るチームの中で活躍。


この年脇腹を痛めながらも、23本塁打とチームトップの本塁打数を記録する。


しかし、翌年は打撃不振に陥り、シーズン途中に同僚のスコット・クールボーと共に解雇された。

パワプロ 2018【近鉄】C・D(クリス・ドネルス)

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再現年度・1996年


1996年に近鉄入団。


近鉄で1年プレーして20本塁打を記録するものの、オフに退団。


1997年オリックスに途中入団(この年は登録名ドネルスでプレー)。

 

不振のD・Jに代わり活躍、シュアな打撃が光り打率3割を記録。


翌年は不振に陥り、1999年は出場なしで、オフに退団。

 

パワプロ 2018【オリックス】大島公一

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再現年度・1998年


1992年に近鉄入団。


入団して4年間近鉄でプレーするが、1995年オフにトレードでオリックスに移籍した。


オリックスでは正二塁手として活躍、その堅実な守備でゴールデングラブを3回も獲得する。


チーム事情から内野の他のポジション、外野まで守るなどユーティリティ振りも発揮。


バントもうまく1番・イチローの後を打つ事が多かった。


2005年には分配ドラフト楽天に入団、オフに現役引退。

パワプロ 2018【近鉄】ジム・トレーバー

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再現年度・1991年

 


1990年に近鉄に入団すると、その年は打率3割を記録、最多安打のタイトルを獲得する。

 


翌年は打率は落ちたものの本塁打を30本近く放ち、打点王を獲得。

 


体格の割に足は早く、この年は11盗塁(盗塁死1)を記録。

 


文句無く残留と思われたが、契約交渉が決裂し退団。

パワプロ 2018【巨人】ロイド・モスビー

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再現年度・1992年

 


現役バリバリのメジャーリーガーが巨人にやってきた。

 


最下位だったチームを上位に上げる原動力となるなど、この1992年は96試合で25本塁打と力を見せつける。

 


打撃だけではなく、全盛期より衰えはあるものの、走塁や守備でもチームを救った。

 


残留となった翌年は、かつてチームメイトだったジェシー・バーフィールドが入団、更なる活躍が期待されたものの、故障で長期離脱。

 


復帰後も調子は上がらず、1993年オフに退団。

パワプロ 2018【中日】中村武志

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再現年度・1993年

 

花園高校からドラフト1位で中日に入団、長らく中日の正捕手を務める。

 

強肩で、盗塁阻止率5割を2度記録。

 

1991年には5盗塁、翌1992年には4三塁打を放つなど、意外な走力も発揮。

 

パンチ力もあり、谷繁と入れ替わりで入団した横浜でも二桁本塁打を記録。

 

しかし、移籍先の横浜で相川亮二が台頭すると、出場機会が年々減少。

 

2005年オフ、移籍先の楽天にて引退。

 

現在は中日の一軍バッテリーコーチを務める。