再現年度・2001年
テキサス・レンジャーズからダイエーに入団。
来日1年目の2001年は主に攻撃的な2番打者として活躍し、「恐怖の2番打者」と言われるほどに。
広角に打ち分けるのが持ち味でこの年、逆方向への安打は引っ張り方向より多い数(59安打)を放っており、本塁打も逆方向へは引っ張り方向とほぼ同じぐらい放っている。
又、ホームベースから極端に離れているせいか、インコース打の打率は軒並み3割を超えている。(高めでも同じく軒並み3割越え)
ラインドライブの効いた当たりで長打にすることも多かった。
2002年、2003年と3年連続で3割、20本塁打をマーク、2003年は100打点を記録し井口資仁、松中信彦、城島健司らと100打点カルテットを結成。
守備や走塁に関しては足は遅いため、守備範囲は広くなかったが、来日1年目はセンターを守る場面も見受けられた。
DHに座る事も少なく、退団するまで安定して外野手として出場を続けた。
2004年オフにダイエーを退団。