再現年度・1996年
プロ1年目から一軍の試合に出場し、プロ初安打が初本塁打というデビューを飾る。
その年から2007号ま引退積み重ねて来た安打は2012本、本塁打は287本。
途中外野にコンバートされた事もあったが強肩と広い守備範囲を持ち味とし、長きに渡り遊撃手として活躍。
晩年は走力・肩の衰えもあり指名打者や一塁手としての出場が多かった。
打撃では独特の振り子打法から最盛期ではコンスタントに20本台の本塁打を量産。
プルヒッターの傾向にあり、再現年度の1996年に放った本塁打22本の内、16本を右方向へ放っている。
同年は左投手にも強く.314を記録。
若い頃から中堅の頃までは怪我にも比較的強く、1992年こそは故障で1年棒に振ったがその前の1988年〜1991年とその後の1994年〜1996年は全試合出場を果たしている。(1993年は128試合出場)
2007年オフに現役を引退、その後は日本ハムの二軍監督などを務めた。