再現年度・2000年
クリーブランド・インディアンスから1997年に日本ハムに入団。
来日1年目は対近鉄戦で王貞治以来の1試合4本塁打放つなど好調を維持し、この年37本塁打を放ち本塁打王を獲得。
翌年1998年も打棒は変わらず、チャンスにも強くなり(得点圏打率.361)2年連続の本塁打王に加え、打点王にも輝いた。
1999年は怪我でほぼ一年を棒に振ったが、2000年は復活し打率.294で37本塁打は共に自己ベストだった。
初球から積極的に打ちにいくスタイルで、再現年度の2000年はノーストライク時の打率は.405
外野手登録ながら一塁守備に一回しか着いた事がなく守備力は未知数だった、、、
しかし、2001年は再び怪我に見舞われ年間通して活躍できず、シーズンオフに日本ハムを自由契約となる。
2002年に近鉄が過去の実績を鑑み獲得するも、やはり怪我から復活できず、1年で退団。