再現年度・1996年
拓大紅陵高からヤクルトに捕手として入団。
監督だった野村克也に能力を見出され、二塁手、外野手へコンバート。
それがハマって1991年から7年連続でゴールデングラブ賞、長年に渡り外野の名手として君臨する。
ゴロを打つバッティングを心がけて内野安打を打つ事が多く、再現年度の1996年は右打者ながら17安打。
右打ちも非常に上手く、同年は外野へはライト方向へ1番安打を放っている。(ライト44安打・センター42安打・レフト20安打)
しかし、ピークは1997年までで、その年以降は徐々に出場数が減るようになる。
2004年は一軍に出場するようになってからは自己ワーストの3試合出場に止まり、楽天へ無償トレード。
2006年オフに現役引退。