再現年度・2001年
捕手として近鉄に入団するもなかなか定着できず、チーム方針もあり外野手に転向、1999年から本格的に外野手として出場。
2000年は捕手として出場する機会が多かったが、盗塁阻止率.109というプロ野球記録(当時)を作ってしまう。
近鉄優勝時の2001年は外野1本で出場を続け、打撃が一気に開眼し打率.320、17本塁打をマーク。
特筆するのは、得点圏打率.417、対左投手打率.377、満塁時打率.417(21打数9安打)だろう。
更に引っ張っては17本塁打中右へ15本、流しては安打の34%を左方向へ放つ(右方向へは38%)。
19併殺打と併殺が多い事に課題は残したが、近鉄優勝に大きく貢献した。
分配ドラフトで楽天へ移籍しても外野のレギュラーは変わらず、2004年には自己最多の26本塁打。
2009年オフに現役を引退。