再現年度・1996年
果敢なヘッドスライディング、闘志溢れるプレーからついた名前は「ガッツマン」
守備もうまく、ショートではゴールデングラブ賞を受賞しているが、田中幸雄がショートにコンバートされるに伴い三塁へコンバートしている。
パフォーマンスも多く実行し、優勝争いの最中チームを鼓舞しようと一軍昇格を当時監督の上田利治に直訴するなどチームのムードメーカーでもあった。
再現年度の当時でも走力はまだ健在で8盗塁(盗塁成功率.800)、内野安打11本を記録している。
バントもうまく自己最多の19犠打をマーク。
1997年は落合博満の加入に伴い一塁を守っていた片岡篤史が三塁へ再コンバート、その影響で出場機会が激減。
1998年は故障の影響もあり出場機会がなく、オフに現役引退。
現在はYouTuberとしても活躍している。