再現年度・2000年
ハマの龍神
近大附属高→住友金属→横浜(D5位)→巨人
横浜に入団して内野手に転向、2000年には俊足・強肩を生かして内野手登録ながら外野も本格的に守る。
その年は打撃が開眼、打率.346で首位打者と新人王を獲得。
盗塁こそ8個のみ(成功裏.533)だったが、内野安打29本と俊足を見せつけた。
打率もさる事ながら、2ストライク時打率.274(2-2以外のカウントは全て3割)と粘り強かった。
バントも上手く17犠打を、翌2001年は43犠打も記録している。
2000年にブレイクして横浜の主軸打者として長年活躍、晩年はFAで巨人に移籍。
2015年限りで引退し、2020年現在は読売ジャイアンツ三軍野手総合コーチを務める。