再現年度・2000年
2000年成績
56試合 11勝4敗1S 75.1回 90奪三振(奪三振率10.66) 防御率3.11 WHIP1.00
千葉・敬愛学園高からヤクルトに入団。
1年目はファームで経験を積み、2年目に一軍に定着する。
しかし、一軍に出てきた年はコントロールが非常に悪く、与四球率は実に5.48を記録している。(映像でも荒れ球が見てとれる。)
2000年は56試合に登板、制球力も改善されて、ヤクルトのリリーフの一角として活躍。
前年から登板した時に勝ち星がつく事が多く、この年もリリーフ登板だけで11勝(自己最多)と中日のメルビン・バンチらと最多勝争いを演じた。
MLB移籍までヤクルトの中継ぎ・抑えとして活躍。
NPBに復帰するとソフトバンクに入団し、こちらも中継ぎでフル回転。
豪速球はそのままに、MLB時代に習得したナックルカーブも更に武器とした。
2018年は故障の影響により23試合登板、オフに戦力外通告を受け退団、古巣のヤクルトに入団した。
2019年は復活し、45試合で5勝、防御率2.95の成績を挙げて復活した。
2020年は10月10日現在、一軍登板はなくファームで22試合登板、防御率5.40の成績となっている。