義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ2020【オリックス】水尾嘉孝

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再現年度・1998年

 

1998年成績

55試合 3勝0敗0S 33.1回 31奪三振 防御率1.89 WHIP1.23

 

福井工大→大洋・横浜(1990年D1位)→オリックス→西武

 

大洋にドラフト1位で入団したが活躍できず、オリックスにトレードで移籍。

 

中継ぎに定着すると水を得た魚のように活躍し始め、1997年はリーグ最多の68試合登板。

 

1998年も左のワンポイントとして55試合登板。

 

得点圏被打率.175対左打者打率195とピンチ・左打者に対しても強く、防御率は1点代を記録。

 

ほぼスライダーとストレートで打者を抑える(スライダー37%、ストレート55%)が、実に被安打の75%がストレートだった。

 

晩年は西武で活躍、2006年に現役を引退。

 

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パワプロ2020【西武】橋本武広

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再現年度・2000年

 

2000年成績

65試合 2勝2敗0S 42回 38奪三振 防御率3.00 WHIP1.17

 

プリンスホテルダイエー(1989年D3位)→西武→阪神→ロッテ

 

リリーフに定着してから才能が開花。

 

1995年から2001年まで7年連続50試合以上登板、内60試合以上が4回もある鉄腕サウスポー。

 

再現年度の2000年は36歳という高齢にもかかわらず、65試合登板、被本塁打も42イニングでわずか1本(本塁打率0.214)だった。

 

同年は打者をほぼストレートかスライダーで抑え込んでいる。(ストレート42%・スライダー48%)

 

晩年は阪神、ロッテに移籍。

 

2003年限りで現役を引退。

 

引退までの登板数は実に560試合にも登った。

 

2020年現在は三菱自動車岡崎でコーチを務める。

 

 

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パワプロ2020【ダイエー】渡辺正和

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再現年度・2000年

 

2000年成績

60試合 6勝1敗0S 85回 54奪三振 防御率2.54 WHIP1.08

 

東京ガスダイエー(1992年D5位)

 

入団当初は先発としても活躍していたが不調などもあり、2000年まで2軍暮らしが大半だった。

 

しかし、2000年は中継ぎとして60試合にも登板して内角を強気に攻める投球で一気にブレーク。

 

又、左打者に対しても強かった。(対左打者打率.152)

 

この年はフォーク(スプリット)と直球系(ツーシーム)、シュートで相手打者を苦しめた。

(実際、スクリューを投げたというデータはなかったが、渡辺正和と言えばスクリューのイメージなのでツーシームの代わりにそちらを付けました。)

 

風貌からあだ名は「なべじい

 

翌年は調子を落とすが、2002年は復活して57試合で防御率2点台。

 

2004年も46試合と奮闘したが高齢の為、戦力外通告を受けて現役を引退。

 

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10/24 サバゲー定例会

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に参加してきました。

 

いやー7カ月ぶりのサバゲーは身体に応えますな。

 

しかも持っていった電動ガン動かないからガスブロの長物しか使えないし、ハンドガン忘れて先輩のトカレフ借りる始末...

 

ATFがトカレフ使用ってf^_^;

 

次回はM4治してから実物Trijiconが乗っかってるかな

 

てかまじでTrijiconのACOG欲しいー

 

またコロナ流行り出す前に行きたいですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晩ご飯のいきなりステーキ美味でした。

パワプロ2020【ダイエー】星野順治

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再現年度・2001年

 

2001年成績

30試合 13勝9敗0S 175.2回 82奪三振 防御率4.35 WHIP1.41

 

NKK(現JFE西日本)→ダイエー(1997年D4位)

 

2001年は防御率4点台ながら13勝をマーク。

 

サイドハンドからの制球力と、同年は7死球を記録するほどの内角責めで打者を抑え込む。

 

変化球主体の投球が目立ち、打者を抑えた64%が変化球だった。

 

被打率に対し得点圏被打率.241とピンチの場面でも抑え込んだが、被本塁打は24本(本塁打率1.23)被安打197本(被打率.288)を打たれている。

 

2008年オフに戦力外通告を受けて現役を引退。

パワプロ2020【西武】石井貴

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再現年度・1997年

 

1997年成績

59試合 10勝8敗9S 102.1回 68奪三振 防御率3.61 WHIP1.45

 

三菱重工横浜→西武(1993年D1位)

 

1997年は主に中継ぎで自己最多の59試合登板して10勝、抑えては9セーブ、先発してはプロ初完投・初完封を記録するなど活躍。

 

この年は打者をストレート約6割、スライダー約4割という割合で打者を抑えている。

 

翌1998年から本格的に先発に転向、以降西武先発陣の一角として活躍。

 

2007年オフに現役を引退、2020年現在は楽天の2軍投手コーチを務める。

パワプロ2020【ヤクルト】加藤博人

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再現年度・1997年

 

1997年成績

60試合 5勝1敗6S(11SP) 45.1回 39奪三振 防御率1.99 WHIP1.15

 

八千代松蔭高校からドラフト外でヤクルトに入団。

 

プロ入りから変化の大きなカーブ(1997年に関しては微妙に変化する直球も見て取れる)を武器とした。

 

右打者であろうが、左打者であろうがカーブで内角をえぐる強気なピッチングが持ち味。

 

線の細さから怪我などが目立った選手だが、1997年はキャリアハイとなる60試合登板。

 

本塁打も少なく、45.1回を投げて打たれた本塁打は僅か1本(本塁打率.0.199)

 

ただ左のワンポイントで起用されたのが目立ったが、肝心の対左打者打率は.229(年間被打率.194)とやや苦手にした感があった。

 

翌年からは再び故障が再発、2000年は登板なしに終わると2001年は近鉄に移籍。

 

同年オフに戦力外通告、翌年にCPBL台北誠泰太陽で一年プレーした後に現役引退。