義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ2020【西武】高木浩之

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再現年度・2002年

 

駒沢大から西武に入団。

 

2002年は自己最多130試合出場、打率.286

 

得点圏打率.374でリーグ2位(1位は中村紀洋の.387)の勝負強さ、2ストライク時の打率こそ.217だが粘るバッティングで三振率は僅か.058

 

左安が多く安打全体の30%を占める。

 

走塁面では11盗塁(成功率.917)で高い数字を示して、内野安打14本を記録。

 

守備ではゴールデングラブ賞も受賞した。

 

2008年オフに現役引退、2020年現在は西武の二軍内野守備走塁コーチを務める。

パワプロ2020【大阪近鉄】柴田佳主也

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再現年度・2000年

 

2000年成績

50試合 3勝0敗0S 29.2回 19奪三振 防御率1.82 WHIP1.25

 

阿部企業から1990年ドラフト4位で入団。

 

1995年に一軍デビュー、1998年から本格的にワンポイントリリーバーとして活躍し始める。

 

左のサイドハンドから右打者のみならず、左打者のインサイドを突くピッチングとスライダーを持ち味とした。

 

2000年は50試合に登板、この年は本塁打0に抑え込む。

 

年間通算被打率.250に対し、イニング途中からの登板時被打率.223と冷静に打者を抑える仕事人振りを発揮。

 

しかし、2002年から不振に陥り2004年オフに現役引退。

 

現役引退した時点で、1997年5月14日対ダイエー戦での敗戦(1球プロ初黒星)から235試合連続登板機会敗戦なしの記録を作り2020年現在でもプロ野球記録となっている。

 

パワプロ2020【横浜】森中聖雄

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再現年度・2000年

 

2000年成績

53試合 6勝2敗2S 64.1回 64奪三振(奪三振率8.86) 防御率2.38 WHIP0.81

 

東海大から1996年ドラフト2位で横浜に入団。

 

2000年は自己最多の53試合登板。特に強打者に強い成績を残す(対松井秀喜.100 対金本知憲.167 対高橋由伸.222)

 

得点圏被打率も.125防御率改善に寄与。

 

しかし2000年を境に登板数は減少、2003年は藪恵壹からプロ初本塁打を放ったが、同年オフに戦力外通告を受け現役を引退。

パワプロ2020【ヤクルト】岩村明憲

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再現年度・2001年


宇和島東高校からヤクルトに入団。


ルーキーイヤーはファームで経験を積み、2年目には一軍でいきなり二桁11本塁打


2000年、2001年共に18本塁打、代名詞となる初球打ちや広角打法、三振もこの頃から健在で、2001年はノーストライク時打率.374、18本塁打左方向へ8本(中2 右8)、111三振を記録した。


走塁に関して同年は三塁打4本内野安打23本、盗塁は自己最多の15(成功率.714)だった。

 

2004年には44本塁打を放ち名実共に球界を代表する三塁手に成長した。

 

MLBではタンパベイ・レイズピッツバーグ・パイレーツオークランド・アスレチックスに在籍。

 

NPBに復帰すると楽天、ヤクルトに在籍したが振るわず2014年オフにヤクルトを退団。

 

BCリーグの福島ホープスでプレー、2017年に現役引退。

 

2020年現在は福島ホープスの代表兼監督を務める。

パワプロ2020【西武】豊田清

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再現年度・1999年

 

1999年成績

20試合 10勝4敗0S 122.2回 91奪三振 防御率3.89WHIP1.04

 

同朋大学から西武に入団。

 

入団から2000年まで西武の先発投手として活躍。

 

1997年と再現年度の1999年は先発として二桁10勝を挙げている。

 

1999年は春先から不調で、序盤に打ち込まれたり急に打ち込まれるケースが相次ぎ二軍落ちした。

 

しかし再び一軍に上がると抜群のコントロール(与四球率1.17)で4完投含む二桁勝利、WHIP1.04を記録。(WHIPの割に防御率が悪い為.被本塁打率0.88ですが一発を付けました。)

 

2001年からクローザーに定着すると防御率0点台を2度記録するなど球界を代表する抑え投手になった。

 

その後は巨人、広島で活躍し、2011年オフに現役を引退。

 

引退後は巨人の投手コーチとしてスコット・マシソンの覚醒などに貢献した。

 

2020年現在は西武ライオンズの投手コーチを務める。

パワプロ2020【オリックス】小倉恒

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再現年度・1999年

 

1999年成績

48試合 5勝2敗11S 103.2回 84奪三振 防御率2.17 WHIP1.07

 

全足利クラブからヤクルトにドラフト7位で入団。

 

ヤクルトではほぼ中継ぎとして登板していたが結果が出ずにいたところをトレードされ、オリックスに入団。

 

オリックスに移籍してから毎年成績は向上して行き、1999年は48試合に登板し、防御率2.17と安定した成績を残した。

 

制球力も一気に良くなり(与四球率2.17)、得点圏被打率も.175とよく抑え込んだ。

 

48試合中2試合の先発はあったものの、103.2投球回も記録している。

 

2001年からは本格的に先発に転向、同年は二桁10勝を挙げている。

 

2005年は分配ドラフト楽天に移籍、2006年には自己最多となる58試合に登板している。

 

2008年限りで現役を引退。

パワプロ2020【横浜】佐伯貴弘

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再現年度・1999年

 

大商大から横浜にドラフト2位で入団。

 

1993年のルーキーイヤーから横浜退団の2010年までの長きにわたって横浜の外野手・一塁手として活躍。

 

再現年度の1999年は規定打席に到達とまではいかなかったものの112試合に出場して打率3割をマーク。

 

本塁打も1994年以来の二桁を放った。

 

又、この年はチャンスにも左投手にも強さを発揮した。(得点圏打率.354対左投手打率.382)

 

2010年は前年の114試合出場から僅か10試合出場と試合数が激減、戦力外通告を受け中日に移籍した。

 

中日では主に代打などで出場したが、オフに自由契約となり現役を引退。