再現年度・1996年
関東高校(現・聖徳学園高校)から強肩・強打の捕手として広島に入団。
その後肩の怪我から三塁手へコンバートする。
内野手としてコンバートすると徐々にホームラン数を伸ばしていき1993年には30本塁打を達成し、本塁打王となった。
1995年にも本塁打王を獲得、再現年度の1996年も左目に打球を当てて骨折したものの、前年に続き30本塁打をクリア。(32本塁打中、レフト方向への本塁打は実に27本を数えた)
脚力もあり、再現年度の1996年は8盗塁。(前年は14盗塁)
1996年には三塁手としてゴールデングラブ賞を受賞。しかしこれは該当者がいない事からの受賞であった。
守備に関しては、1994年から巨人時代の2001年まで、8年連続で二桁失策を記録している。
FAで巨人に移籍してからは長嶋政権のミレニアムVに大きく貢献。
優勝のかかった大一番で、中日不動の守護神であったエディ・ギャラードから同点満塁弾を放った事は、巨人ファンにとって今尚語り草となっている。
現役最終年は西武に在籍、惜しまれながら2009年オフに現役を引退。