再現年度・1997年
明治大からヤクルトにドラフト1位で入団、FAで巨人に移籍するまで、ヤクルトの主砲として活躍。
ヤクルト時代〜巨人移籍1年目までは怪我にも強かった。
1996年はオープン戦で受けた死球の為、わずか38試合の出場に終わった。
再現年度の1997年は打棒が復活、安打は右に40本(中49 左24)本塁打は右に9本(中9 左4)と得意の右打ちを見せつけた。
2000年には巨人を退団し阪神に移籍、2001年には95試合出場ながら本塁打を12本を放ち4番にも座っている。(在籍した3球団全てで4番に座った打者でもあった。)
2003年に現役を引退。