義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ 2018【巨人】ルビー・デラロサ

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再現年度・2019

 

シーズン途中に巨人に加入した剛腕助っ人。

 

最速159km/hの速球が武器と言いながらNPBで160km/hを計測、自己最速記録を更新してしまう。

 

一軍に上がった当初は打たれ込むケースが多かったが、その後は徐々に調子を上げて行き、9月2日時点で18試合登板、1勝5S6HP、防御率1.76という好成績を挙げている。

 

意外と制球も良く、15回と1/3を投げて四死球はわずか2個のみ。

 

最速160km/hの速球とキレのあるスライダーでどこまで成績を上げることが出来るか、、、

パワプロ 2018【ヤクルト】佐藤真一

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再現年度・1999年

 

たくぎんからダイエーに入団。

 

入団してもなかなか活躍できず、わずか3年でヤクルトへトレードされる。

 

移籍後はプロ初ホームランを放つが目立つ活躍が残せていなかったが、1999年には突如として活躍。

 

規定打席には到達はしなかったものの、この年は打率.341を記録。

 

その後は準レギュラーとしてチームに貢献、2005年オフに現役引退。

パワプロ 2018【巨人】川相昌弘

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再現年度・1994年

 

通算犠打数世界記録保持者。

 

9年連続30犠打以上を記録、記録した犠打は533を数える。

 

守ってもショートの守備は一級品。

 

しかし、1999年は前年のドラフトで入団してきた、二岡智宏がショートのレギュラーに定着した為、この年から10年ぶりにショート以外のポジションを守る。

 

2003年に引退かと思いきや、引退を撤回し中日に移籍。

 

中日に3年間在籍し、現役引退。

パワプロ 2018【大阪近鉄】礒部公一

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再現年度・2001年

 

言わずと知れた、2001年優勝時の立役者。

 

捕手として入団するも強肩を持ちながら、盗塁阻止率ワースト記録(当時)の.109を記録するなど捕手として大成はしなかった。

 

しかし、本格的に外野にコンバートされた2001年は、打棒が覚醒し5番打者として君臨、近鉄優勝に貢献した。

 

2004年オフに分配ドラフトで新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに入団、創設初期の楽天を支えていく。

 

2008年オフ戦力外通告を受け、現役引退。

パワプロ 2018【中日】神野純一

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再現年度・1999年

 

愛知工大から1992年に中日に入団。

 

入団から途中出場、代打の機会が多かったものの、打率も低く結果を出せなかったが、1999年には打席こそ少ないものの、打率3割を記録。

 

代打の切り札として中日優勝に貢献した。

 

しかし、その後は荒木、井端の台頭によって出場の機会が減少、2003年限りで現役を引退。

パワプロ 2018【横浜】ロバート・ローズ

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再現年度・1999年

 

横浜史上最強外国人選手。

 

来日1年目からいきなり3割二桁本塁打を放ち、打点王に輝く。

 

長打、単打共に逆方向への打撃が上手く、NPBでは実働8年間で、打率3割を7度達成する。

 

1999年には.369で首位打者、153打点で打点王本塁打も37本放つなど、マシンガン打線を象徴するような活躍を見せる。

 

しかし2000年、成績が落ちたとは言え十分な活躍を見せたが、契約時に高年俸がネックとなり、横浜を退団。

パワプロ 2018【西武】松井稼頭央

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再現年度・1997年

 

PL学園時代は投手として活躍したものの西武から野手として指名され、入団。

 

1年目は一軍出場が無く、2年目から一軍に上ると徐々に頭角を表すようになる。

 

3年目には初の全試合に出場、4年目再現年度には、二年連続の全試合出場、自身初の3割達成、実に62盗塁を記録し盗塁王ベストナインゴールデングラブを獲得。

 

この頃から日本を代表するバッターの道へ突き進む。

 

日米通算2500本安打、スイッチヒッターとして初のトリプルスリーなどなど、書ききれない程の記録を打ち立てて行く事になる。