義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ 2018【近鉄】光山英和

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再現年度・1990年

 

上宮高校から近鉄に入団。

 

初出場は入団から3年目の1986年だった。

 

初デビューの年は.283を記録、翌年にはプロ初ホームランを放つ。

 

1990年は野茂英雄との相性の良さ、打撃を買われ準レギュラーに定着し、規定打席に未達ながら打率3割、二桁ホームランを記録。

 

守備面でも、盗塁阻止率.413と強肩も発揮。

 

その後は中日、巨人、ロッテ等多数の球団を渡り歩き、2003年オフに現役引退。

パワプロ 2018【中日】大西崇之

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再現年度・2003年

 

ヤオハンジャパンからドラフト6位で中日に入団。

 

入団から高い守備力と俊足で、守備固めや代走で活躍。

 

1998年には16盗塁を記録。

 

打撃も最盛期には打率3割、2桁近くのホームランも放つなど打撃も開花する。

 

晩年には金銭トレードで巨人に移籍、退団後も巨人のスカウトや、コーチとしてチームに貢献している。

パワプロ 2018【西武】小関竜也

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再現年度・2002年

 

國學院栃木高から西武に入団。

 

プロ入り1年目は一軍試合出場なし、2年目にプロ初出場をはたす。(1試合出場)

 

3年目も僅か1試合のみの出場にとどまるが、4年目には一気に104試合に出場、新人王に輝く。

 

以降は俊足巧打、高いディフェンス力を武器に外野のレギュラーに定着。

 

楽天聖澤諒に破られるまでは、パ・リーグ外野手の連続無失策記録保持者だった。

 

2009年に現役を引退。

パワプロ 2018【巨人】大久保博元

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再現年度・1992年

 

水戸商業高からドラフト1位で西武入団。

 

西武に在籍した6年間は鳴かず飛ばず、巨人に移籍すると持ち前のパワーでこの年に15本塁打を記録。

 

最終的には怪我に苦しみ、28歳と言う若さで現役を引退。

パワプロ 2018【中日】福留孝介

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再現年度・1999年

 

1998年のドラフトでは中日を逆指名し、内野手として入団。

 

しかし、内野守備は不安定で、ルーキーイヤーはリーグワーストの19失策を記録。

 

2年目も二桁失策を喫し不安定だったものの、本格的に外野を守るようになると守備が安定、現在までにゴールデングラブ賞を5度獲得するまでになる。

 

42歳になった今年でも一線級で活躍し続けている。

パワプロ 2018【日本ハム】広瀬哲朗

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再現年度・1994年

 

本田技研(現Honda)からドラフト1位で入団。

 

入団当初は守備固め、代走要員と、大きな活躍はできなかったが主将となった1993年からレギュラーに定着する。

 

そこから2年連続でゴールデングラブを獲得するなど、守備力も高かった。

 

1998年オフに惜しまれながらも現役を引退。

パワプロ 2018【日本ハム】小笠原道大

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再現年度・2000年

 

NTT関東から捕手として日本ハムに入団。

 

ルーキーイヤーは目立つ成績は残せなかったものの、2年目は規定打席未達ながら打率3割を記録。

 

3年目は本格的に一塁へコンバート、初の二桁本塁打を放つ。

 

再現年度の2000年には、3割30本を記録、盗塁も24個、ゴールデングラブ獲得と、打って走れて守れる一塁手となった。

 

その後は2年連続首位打者、2年連続MVPなど数々のタイトルを獲得していく。

 

2011年の巨人時代には2000本安打を達成。

 

2015年に引退を決意、現役最後の試合となった対巨人戦では両軍選手から胴上げされ引退となった。

 

現在は中日二軍監督を務める。