再現年度・2001年
九州共立大からドラフト3位指名でダイエーに入団すると1年目から一軍の試合に出場し、初安打・初本塁打をマーク。
翌1998年からはほぼレギュラーに定着するようになり、ダイエーの主軸打者として活躍。
打撃は流し打ちを持ち味とし、再現年度の2001年は安打が右方向57本に対して、左方向へは59本放っている。
早打ちも得意とし、ノーストライク時の打率は.409
高めの球にも強く、真ん中高めは.426・外角高めは.346を記録。(内角高めは.267)
走力は、この年わずか8盗塁(盗塁死7)ながら内野安打は24本と示すように足も速かった。
守備も上手く通算3度のゴールデングラブ賞、2001年は両リーグ最多の304刺殺・17捕殺でゴールデングラブ賞を獲得している。
2003年以降は怪我に見舞われるようになり、2011年に現役を引退。