再現年度・1997年
1997年成績
26試合 15勝5敗0S 170.1回 83奪三振 防御率2.96
田畑建工(実家の家業)からドラフト10位でダイエーに入団。
試しにテストを受けて合格、入団した経緯を持つ。
しかし入団後プロの壁は厚く、ダイエー在籍4年間で僅か2勝に終わる。
1995年オフにトレードでヤクルトに移籍すると移籍一年目から二桁勝利、その活躍ぶりから「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた。
再現年度の1997年は最多勝争いを演じて見事15勝をマーク、同年は古田敦也と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。
この年は被打率こそ.255だったが、ここぞのピンチでは得点圏被打率.209と押さえ込み、好成績を上げる要因になった。
又、制球力も良く、与四球率は2.27だった。
しかし、翌1999年以降は故障に悩まされるようになり晩年は巨人で中継ぎとして活躍。
2002年途中で現役を引退、2020年現在はBCリーグの富山GRNサンダーバーズの監督を務める。