義烈のキャンプ時々パワプロ2022

ご覧頂き、ありがとうございます。このブログでは、過去にNPBに在籍した選手を実況パワフルプロ野球2020サクセスで作成し、公開して行きたいと思っています。作成する選手は90年代から現在に至るまでの日本人・外国人選手です。可能な限り能力を再現して行こうと思いますが、再現出来ていない所についてはご容赦頂ければと思います。又、以前やっていたYahooブログがいつのまにか閉鎖された為、こちらで日常や趣味などを引き続き綴って行きたいと思います。

パワプロ 2018【日本ハム】藤島誠剛

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再現年度・1999年

 

岩陽高校(現・岩国総合高校)からドラフト3位で入団。

 

入団からしばらく二軍暮らしが続いたが、1992年に初安打初打点を、1995年には初本塁打を記録。

 

再現年度のこの年は持ち前のパワーを発揮し、自己最多の7本塁打をマークするも好不調の波があり、一軍定着とはならなかった。

 

2004年には二軍通算100本塁打を記録、同年限りで引退。

 

 

パワプロ 2018【阪神】エドゥアルド・ペレス

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再現年度・2001年

 

父はメジャー殿堂入りを果たしているトニー・ペレス

 

慢性的な正三塁手不足に悩まされていた阪神へ、打撃を期待されながら入団。

 

しかし、怪我の影響で調整が出遅れ、シーズン中は不本意な成績に終わりわずか1年で退団。

 

翌年は古巣セントルイス・カージナルスに戻ると、2年連続二桁本塁打を放つなど活躍。

 

2007年限りで現役を引退。

パワプロ 2018【ヤクルト】宮本慎也

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再現年度・2004年

 

プリンスホテルから逆指名でヤクルトに入団。

 

入団3年目にゴールデングラブを獲得すると、引退までに10度獲得する。

 

打撃では右打ち、バントの名手として活躍。

 

ホームランバッターではないものの再現年度の2004年はわずか90試合の出場ながら、11本塁打を記録。

 

又、国際試合にも強い選手としても活躍。

 

晩年は三塁手として出場、最後を惜しまれながら2013年に現役引退。

パワプロ 2018【広島】エディ・ディアス

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再現年度・2001年

 

守備力が高く、三振の少ない堅実な打撃が売りとして1999年に広島に入団。

 

当初はショートを守っていたが、東出輝裕のショートへのコンバートにより、2000年からはセカンドでの出場がメインとなる。

 

来日3年目の2001年、同郷のアレックス・カブレラが来日、打撃の助言を受けると打棒が覚醒。

 

2002年限りで広島を退団、KBOメキシカンリーグを経て現役引退。

パワプロ 2018【横浜】ダン・ジョンソン

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再現年度・2009年

 

タンパベイ・レイズから入団。

 

横浜では24本塁打放つなど長打力を武器としたが、打率が低く、好不調の波もあり、わずか一年で退団となった。

 

古巣・レイズに復帰し、その後は各チームを転々とし三度レイズと契約すると投手に転向、ナックルボーラーとなる。

 

ドジャースを退団した翌2017年からはメキシカンリーグでプレーした。

パワプロ 2018【ダイエー】ブライアン・トラックスラー

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再現年度・1994年

 

ロサンゼルス・ドジャース傘下からダイエーに入団。

 

愛嬌ある体型から愛称はコロコロちゃんと呼ばれるようになり、その人気さから博多人形も売り出されるようになる。

 

年間通して一塁手として出場するも、平凡な成績しかあげられず、翌年のケビン・ミッチェル獲得の影響もあり、1年強で退団。

 

引退後の2004年肝硬変により死去、享年37。

 

パワプロ 2018【オリックス】フェルナンド・セギノール

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再現年度・2002年

 

モントリオール・エクスポズからオリックスに入団。

 

来日一年目はわずか89試合で23本塁打とパワーを見せつけるが好不調の波が激しく、二軍降格もたびたび経験するなど不本意な一年となり同年オフに自由契約

 

翌々年に来日し、日本ハムに入団すると、持ち前のパワーに加え、確実性がアップし打率3割越え、44本塁打をマーク。

 

日本ハムには4年間在籍した後、楽天オリックスと渡り歩く。

 

NPBのキャリアは2010年が最後となり、引退後は巨人、カブスなどでスカウトとして活躍。