再現年度・1999年
岩陽高校(現・岩国総合高校)からドラフト3位で入団。
入団からしばらく二軍暮らしが続いたが、1992年に初安打初打点を、1995年には初本塁打を記録。
再現年度のこの年は持ち前のパワーを発揮し、自己最多の7本塁打をマークするも好不調の波があり、一軍定着とはならなかった。
2004年には二軍通算100本塁打を記録、同年限りで引退。
再現年度・2001年
守備力が高く、三振の少ない堅実な打撃が売りとして1999年に広島に入団。
当初はショートを守っていたが、東出輝裕のショートへのコンバートにより、2000年からはセカンドでの出場がメインとなる。
来日3年目の2001年、同郷のアレックス・カブレラが来日、打撃の助言を受けると打棒が覚醒。
再現年度・1994年
ロサンゼルス・ドジャース傘下からダイエーに入団。
愛嬌ある体型から愛称はコロコロちゃんと呼ばれるようになり、その人気さから博多人形も売り出されるようになる。
年間通して一塁手として出場するも、平凡な成績しかあげられず、翌年のケビン・ミッチェル獲得の影響もあり、1年強で退団。
引退後の2004年肝硬変により死去、享年37。